
SAC Bros. Company
アナログ <-> デジタル
昨晩、 " 汐留ギャラリーハウス " という番組に 造形作家 増田 敏也 さんが出演されました。 彼は大阪芸術大学 金属工芸コース 出身で、今は土を素材に表現しています。
同大学出身なので…私の先輩にあたります。 個展やグループ展で作品を観て、お話を伺って感じていた事が 少しだけ言葉で還元できそうな気がするので、ちょっと書いてみようと思います。
どうもこんばんは。motomanです。
番組を観た人のツイートによると 「 あの編集の仕方なら、土を使って陶芸という技法を用いて 成形する意味が薄い 」 といったような印象があったようです。 つまりは コンセプトを語っている部分がすっぽりとカットされていた。というわけです。
なるほど。 私は敏也さん本人と会い、話を聞いていたので 特に違和感はなかったのですが、初見の人からすると…そうかもしれません。
敏也さんのコンセプトは
" 質感と実在感の無い低解像度な CG などのデジタルイメージと 質感と実在感のある陶芸のアナログイメージという 相反するイメージをあわせることで生まれるイメージのギャップを表現している "
( 敏也さんの作品は…公式ホームページの こちら からどうぞ )
今まで、何度か個展やグループ展に足を運び
実際の作品を観て来ましたが、その時はどうも…
何かモヤモヤとしたモノが残り、何と形容して良いのかがわかりませんでしたが
ひょんな事を思い出してみると、それらが合致した気がするのです。
線 1本 とってみても ドットで区切られているわけだから、円はおろか 奇麗な斜線すら引く事が出来ません。
天野 喜孝の、力強く ・ 繊細なタッチで描かれるイメージを 当時のハードでは表現する事が出来なかったわけです。
子供心にこの、ファイナルファンタジーのパッケージに描かれた絵と ゲーム内グラフィックのあまりの違いに…モヤモヤした記憶があります。
ハードに依存する限界と あえて低解像度を用いてボヤけさせる ( モザイクですね ) 事とでは 結果的に似通ったものになろうと、主旨が違うので 敏也さんのコンセプトとはかけ離れてはいますが、 こういった事を思い出したわけです。
敏也さんのはハードの限界ではなく " あえて低解像度化する事 " で、このギャップを表現されているわけですから その面白さを観に、ギャラリーへ足を運ぶのが楽しくなります。
以前、ご本人に 「 これを…例えばプラだとか樹脂だとか…そういった別の素材で成形しても良いのでは? 」 といった事を質問した記憶があります。 つまりは、私にとって 陶芸 = アナログ という図式が無かったから出てきた疑問なわけです。
その際、 「 成形のし易い、アナログ的な素材を使いたかった 」 と言われた事を思い出します。 敏也さんにとっては 陶芸 = アナログ が成り立つわけです。
金属工芸出身と、陶芸しかしていない人間では
素材に対する印象も違う。と
なるほど。そういう捉え方もあるんだなァ。と、考えさせられました。
簡単に複製 ・ 転送の利くデジタルだけれども 人にしか作り出せないラインや色彩があると思います。 それらを詳細に分析すれば、結局はデジタル化できるのかもしれませんが 色々な作家が作る茶碗ひとつ取っても 色々なラインや色彩があるのは ハード的な限界ではありません。
デジタル化する事はおろか
言葉に還元する事すらままならない… " 美意識 " や " 審美感 " と言われる
ファジィな、人の持つ感覚が具現化した物であるから。
表現したいものが必ずしも、精確に人の心に響くわけではありません。
そもそも日本で使われている、デジタルとアナログという単語については…議論を呼びそうですが
正確な対義語はアナクロだと思います。
敏也さんの最初のシリーズが、アナクロと名付けられているのも
きっとそのあたりに起因するものであると思われます。
分析する対象が無ければ…生産する事が出来ない。 それが、私が " デジタル " という言葉に対して持つ考えです。
多くの人が、ジャンルは違えど " ものづくり " をしているのは また、それら作品を観るのが好きな人が沢山居るのは あるひとつの証明である。と私は思います。
" こだわり " という単語に終始するかもしれませんねえ。
個が持つこだわりを、色々な素材を使って表現したら
こういった物になりました。
頭の中で創造した世界観が、こう具現化しました。
或いは…させました。となるんだと思います。
「 ええ。まあそうですね。 僕等が作っている物は、同じ土俵の上にありませんから 特に意識はしていません。 100円 の茶碗で良いと思われる方は、そうすれば良いし こだわりを持った物が欲しい方は、少々 値が張ろうと 良い物を選ばれるんでしょうね 」
こう言うと、 じゃあ何かい? 100均 の物で良いと思っている私は無価値な人間なのかい?と ムッとされる方もいらっしゃいますが、まあ私個人の考えなので もちろん押し付けるわけでもありません。
ただ、気に入った物を買う ・ 使う事の本当の価値は 満足感にあります。 同じ料理を盛っても、それらを引き立てる機能が 私達、作家物にはあります。 それはひとつのデザインと言えるでしょう。
茶碗ひとつで世界を変える事が出来るか。 私は可能だと思っています。
そういった意味で、ものづくりに於いて重要なコンセプトが バッサリとカットされ…放送されなかったのは 残念ですねえ…
まあ ご本人は こつこつと、実際に観てもらった人にこの感覚を体感していってもらおう。と 前向きなようですので? また会える機会を楽しみにしております。
私だったら…凹みに凹むだろうな…と思いました