陶芸や写真を通じ世界中の人々にヒュッゲな生活を提供すべく三重県伊賀市に工房を、東京に営業所を構え、2019年12月から本格的に活動を開始したユニットです。


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FAQ

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86400

先日、面白い記事を目にしました。

毎日 86400円 が無償で支給されますが 0時 にリセットされ、貯金や持ち越しは出来ません。 あなたは何に使いますか ?

というものでした。

どうもこんばんは。motomanです。

ここ最近 人生は何と短いものか。と感じます。

陶芸というものは、ある意味 研究色の濃い仕事だと思っていて 成形方法ひとつ 釉薬ひとつ 焼成方法ひとつ 発想ひとつ。 その組み合わせは無限大で とても独りでやり切れるものでは到底ありません。

出来る限り色々なものに触れ、自分の感性に合うものを取捨選択し ふるいにかけたところからがスタート地点で 時が経つにつれ、嗜好も変化していくのだから 新たなふるいを常にふるっていないといけないわけで 老いていく事に恐怖を感じずにはいられません。

以前 先輩に 早く窯主になるべきだ。 と言われた事があります。

色々な窯場へ行き、焚きを手伝うのも良いが 窯主になり、全ての責任を背負ってみて初めてわかる事が沢山ある。 逆に言えば 窯主にならない限り、わからない事はわからず終いだ。

薪窯なんてリスクの高い事をやるもんじゃない。と 笑いながらそう仰っていました。 冗談半分。なんて言葉がありますが 半分は冗談 もう半分は本当の事で、そこに大事な要素があり そこを知らずに薪窯をやりたい。とは言えないし 日々の準備の大変さをわかっていない段階でなら 尚更 勧められない。

ただ 誰に労われる事のない陰の部分を知った上でこっちの世界に来るのなら… 歓迎する。共に " 焼き " というものの奥深さを研究しよう。と 気のせいかもしれませんが そう仰っているような気がして 心に熱いものを感じました。 本当のところはどうかわかりませんが 少なくとも 私はそう受け取りました。

振り返れば そう言われ…もう 1年半 もの時が流れました。

自分が窯を持てるようになったその時の為 出来るだけ沢山の窯場へ足を運び、自分なりの焼成理論というものを培い 焚きや窯詰め、焼成方法を学び 今 出来得る経験を積んできました。

自分の采配で全てを決定し、求めるものに手が届くのかどうか 今まで培ってきたものが本物なのかどうか。 更なる深みへ潜りたい。と思うようになり 今。 その準備を進めている段階です。

自分の窯で焼いたものでなければ…自分の作品ではない。 という考えを持つ人々にも出会いました。

いつだったか、新聞の記事にもなっていました。 公募展に出品し、入賞した作品が 知り合いの薪窯で焼いてもらったものとわかり 入賞を取り消された。といった内容で 物議を醸し出したものです。

当時は何となく 確かにそうかもしれん。と感じ 人の窯で焼いた自分の品に対し 仄かな罪悪感のようなものも感じました。 自分の作った品が自分のものでない以上 何処にも出せず、誰の目に触れさせてやれる事も出来ず 作った品に対し、申し訳ない。と。

同時期に 上絵を主とした制作活動をされている方に 職人に作ってもらっている生地に上絵を施したものが 自分の作品である。と言い切れるのかどうか悩んでいる。という話を聞き それについても随分と考えました。

同年代の作家活動をしている人に同じように問いかけ、一緒に考えたり 自分とは違うスタイルで活動している人の意見を聞いたり 窯主にストレートに訊いてみたり。

それらを踏まえた結果、時間は掛かりましたが 今の私ならば、自分なりの答えを持っています。

私はよく 窯焚きの投稿が多いから、窯を持っているもんだとばかり思っていた。と言われます。 私は電気窯を所有しているだけで、自分が築いた薪窯はありません。

ひょんな事から薪焼成に関わるようになり 当初は 陶芸をやっているんだから、薪焼成というのを一度くらい体験しておかないとアレだな。という 非常に…恥ずかしいほど程度の低いところから入り 窯出しの時に窯から出てくる品々を見ても どう鑑賞して良いかさえ 出てくる作品を見て、皆が口にする喜びの声がどこに向けられているのかさえ 夜通し何日も薪をくべ続ける労力を掛ける価値があるのかさえ。 何もわからない状態でした。

それでも どういったわけか縁が続き なんだかんだと通っているうちに、その魅力がわかるようになり 決して明るみに出る事の無い、陰の大変さを知り 気付けば 多くの窯焚き仲間に出会っていました。

私が今、自分の窯で焼いたものは自分の作品ではない。と言う人と出会えば 共同窯であっても 一人一人のカが繋がり、皆で焚き上げたものだから 自分の作品であるかないか。などという次元を超え 自分のものでもあるし皆のものでもある。と そういう考えでいますし、これから変わる事はないでしょう。 と言うでしょう。

独りで寝ずの番をし、焚き上げる方も居られます。 自分の作品は自分独りで全ての責任を負うべきだ。という考えなのか 私が未だ至らない発想の下、そうしてらっしゃるのか 正確なところはわかりませんが 私は 親子ほど歳の離れた人 立場や環境 ・ 職業が違う人が一つの窯場へ集まり やきものというものが好きだ。という たったそれだけの事で これほどまでに人は親密になれるのか。というところに感動しています。

一人一人が火を繋ぎ、人を感動させる作品を具現化する事と 火を繋ぐ為に出会った人と人の輪が広がっていく事は 私の中で同義です。

そこから枝葉が広がり また新たな出会いがあり、薪焼成について語る事もあります。

窯はただの道具で 本当の財産は人。 と仰る方も居ます。

だから私は 道具であるそれぞれの窯がどういった特性を持っていて どういうものを狙うのに適しているか。 道具を知る事が大事で 狙いたいものを狙えるのならば、その窯を頼み込み お借りしてでも狙いたいと思っています。

じゃあ私もこういうものを入れてみようかな。 じゃあ私はこういうものを狙ってみようかな。 次はこうした方が良いかもしれませんね。 やってみようか。

いつになるかわかりませんが 私が薪窯を築く時 そういう窯場にしたいと思っています。

やきものが好きだから 同じ窯に入っている作品の多様性が富んでいればいるほど 得られるデータも大きくなり、全ての結果が共有し得るものとなり " 焼き " という研究テーマに皆で取り組む事が出来るからです。

生きているうちに出来るだけ多くの感動に出会う為に 仲間と手を携えていければ それ以上の幸せはない。と思っています。

人生は短く 生きている時間は限られているから。 一日が たったの 86400秒 しかないのだから

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