
SAC Bros. Company
腐る陶器
神戸アートマルシェへ遊びに行った際 いつものニット帽を忘れて 素頭で行ったんですが。
一目で私を私とわかってくれたのは 苫米地さんと圭太くんだけでした-----------------------------------
頭に何か巻いてないとわからん。と 苦情に似た声も聞かれました。 まあ確かに 脱帽するのは自宅に帰った時くらいなものなんですが。 イメージってえらいもんですね。
以前から自覚はありますけれど そこまで私の顔面が薄いとは。
目玉焼きは塩少々。 と思っている私ですが これからはソースをかけてみようと思います。
どうもこんばんは。motomanです。
明日から伊賀で窯焚きなので 出来るだけ遅くまで起きておこう。と 電気窯の温度が上がるのを待ちつつ こないだ作ってイマイチだと感じ、再生用土囊袋に突っ込んだものを 改めてちょっとやってみる事にしました。
暇つぶしにブログでも書こう。と やっつけ写真を撮って貼ってみました。
今回は掛花入にしようと思ったので、長細いです。 そういった形に効果的なアレですし。
今回はスポンジを片手に撫でてみましたが 両の手のみで成形してみるのも面白そうだと感じました。
また長い事、作業の出来ない日が続きますので 乾燥し過ぎぬように保管しておきました。
この表面の ちゅるっと感を維持したまま、刳り抜きがやれるかどうかは アヤシイところです。
新聞の記事で " 陶器は腐る " という文句が書かれていて はて。 どういう意味だろう。と終いまで読んでみると
" 販売業というのは行雲流水 常に流れを作っていかなければならない 滞ってしまえばそこが終わり
売れないものを抱えてしまえば 陶器ですら腐る "
なるほど。 それについて色々と感じた事がありましたが 金を生むのを生業としている某小売販売会社 社長の考えだったので それはそっと置いておきましょう。
ちょっとだけ触れてみますか。
流行的なものや、今 欲されるものを供給する大事さはわかっているつもりですが ファッション的な意味でのものづくりは私のやるべき事ではなく 曲がりなりにも…作家という立場をとっているので 少なからず 世界中を探しても 私にしか作り得ないものがあるはずだ。という想い ( あるいはただの幻想 ) があり 素直に自分が惹かれる事象を自分の中に落とし込み 土という素材を使って表現したい。と思うわけで。
自分を表現する為、土をどのように扱ってみようか 土という素材を活かす為、自分はどういった仕事をすべきなのか。など 色々と考えてしまうものです。
陶器は腐る。と彼が言ったのは 商品は時代に合い、需要を満たすものでなければならない。という意味だと仮定すると 私がやっている事は意味プーですわ。という話になりそうです。
ただ 行雲流水の件は深く共感するところで 常に 他人はおろか、自分ですらが新しいと感じるものを手掛けていきたい。と強く感じます。
産みの苦しみというものもありますが 新しいものを作りたい。と思ってしまう質のようで ルーチンワークが性に合いません。 社会不適合者です。
が それを成す事こそが 自分のアイデンティティでもあるし ある種のイデオロギーであるとも言えそうですが 早朝 6時 にこういう事を考えるのも…どうかと思うので
寝ます