
SAC Bros. Company
走馬灯
おそらく 低血圧というわけでもないのだが、起床してからの 2時間 ほどは 非常に機嫌が悪いのが常で、頭がほとんど回っていない。
そんな状態でうんこしながら、いつものようにウォシュレットの " ムーブ " と書いてあるボタンを押し いつものように尻を反時計回りにくるくると動かし、 " 停止 " を押したつもりが… どうも " ムーブ " を押してしまっていたようで、私の菊門を直射する鉄砲水が止まらない。
" 停止 " を押したつもりだったから、水が止まらない事自体に驚いたのだが それ以上に、鉄砲水が前後に動いている事に気付き…ハッキリと目が覚めた。
まじか。 こんな便利な機能があったのか… なんだこのセクシィな動き… 自分で尻を振っていた私は何であったのか…
と、いう話をすると バカなんじゃないの ? と言われたが 疑問形である以上、バカかどうか判断できていないわけだから 少なくとも…君もバカである可能性が高い。と考える…私の最近の口癖は バカなんじゃないの ? である。
どうもこんばんは。motomanです。
最近 喜楽歩に新しく入会された会員さんと話していると 田中先生の作品見てみたいわあ。と言われました。 ( 正確には…講師としてではなく、雑用として雇われているので、ただの田中なのですが ) いつも携帯しているカメラに少し写真があったので、それを見てもらいました。
昔の写真を見てみると、 ああ。そういえばあの頃はこんな物を作っていたなァ。などと思うわけで 実際、その会員さんにも 色々な物を作ってこられたんですね。と言われました。
気付けばこのブログも、なんだかんだと 2年 と 2ヶ月 続けてきました。 先日、 PC 内のデータを整理しよう。と思い立ち 写真の類をまとめながら、自分が作ってきた物を振り返りました。
自動車整備工を辞め、陶芸一本に絞って…はや 1年半 が過ぎました。
自分の現在地はどんなところに在るのか。 何を得てどう変化してきたのか。
先日、昼馬さんに言われた事を…頭の中で反芻しています。
" 君の中で一番大事な事を見失ってはいけないよ "
漠然とはわかっているつもりですが
このあたりで… 1度 振り返ってみても良いかもしれない。
予定していた仕事が無事にひと段落し、次まで少しインターバルがある、この時に。
過去の、しかも わけのわからない物を見られるのは…尻から火が出る想いですね。
しかし写真の撮り方ひとつ取ってみても…酷いデスネ。
お金が無いのはこの頃から変わりませんが、何が決定的に違うかと言うと この頃は お金以上にこだわりが無かった事でしょう。
何かしないといけない…という焦りから
最も不得意とする、絵付けに手を出した。という…正視に堪えません。
初めて作ったフタものです。 形はおろか、釉の掛け方も粗く 何も言えません。 当時はそれなりに満足していたわけだから…恐ろしい事です。
井の中の蛙。
あるいは…
無冠のキング オブ オナニスト。
そこに意図があったわけではありません。 ただ、ムラを嫌い 奇麗に釉を掛けられている事が完成度を上げる。という 偏見と無様な思い込みによって、エア ・ ガンを使い続けていました。
まァ…おかげで、エア ・ ガンの吹き付けは得意にはなりました。
少なくとも…得る事はあったわけです。
削りの際に 奇麗に奇麗に…手跡を残さないように奇麗に…削るのが最上である。と思い込んでいた私が 偶然発見した飛び鉋。 うん。これをそのまま残せば波模様になるんじゃあない ? と それに合わせ、瑠璃色をチョイスしました。
また、 ムラの出易い瑠璃釉を、どこまで奇麗に掛け分けれるか。と 技術的なテーマが具体的に決まった瞬間でした。
そう考えると、ある意味
転機だったのかもしれません。
意図が…芽生えてきた、最初の作品です。
色味がハッキリと出せるように。と、この頃から 白土から半磁土へと、土を変えた頃でもあります。
土にほんの少しだけ…こだわりが出てきた頃です。
白さを求めていた私にとって、文句のつけようのない土でした。
…しかし
このフタものは一体何なんでしょう。
デッサンのモチーフとしては…使えそうです。
この頃からでしょうか。
" 形 " というものに興味を持ち始めました。
上から下までのラインを、流れとして捉えるようになったように思います。
今でも好きな形ですが、これ以来…作っていません。
また作ってみよう。
この頃は青磁にハマっていました。
深い削りで形を大きく変え、その頂点を繋ぐラインを意識し出した
最初の作品と言えるかもしれません。
1 にも 2 にも…焦りに焦って、何も見えなくなっていた暗黒時代の到来です。
まあ 今こうして見てみても 飯碗のラインの原形は、この頃から少しずつ固まりつつあるようです。
何が悪い。どこが悪い。という問題では無く 自分の中では結構好きな部類に入ります。 が 何がアレかと言いますと、やはり " こだわり " がいささか希薄であった。という点にあります。
私にしか作れない物がきっとあるはずだ ! という…熱くほとばしるものが 欠けていたのでしょう。
井の中の蛙、存在意義を知らず。
瑠璃をさらに濃くし 吸い込まれるような形にし、それを強調する為に黒を挿しました。
これが転機となり 大げさですが…ようやく生を得た気がしました。
ああ。物を作るという事は…こういう事なのか。と
20代後半 のオッサンがモゾモゾと動き始めた頃です。
飛び鉋も
ムラなくエア ・ ガンで吹き付けられるように…と、訓練してきた事が
ようやく芽吹いた…と感じていました。
この雰囲気を小さな器に還元する事が出来ず、別の物も並行して進めなければ…と またも焦りが見え隠れするようになってきました。
そんな中、ふとしたきっかけで作った釉が良い感じに発色し
うん。悪くないなァ…と、マンガンにハマり出した頃です。
この、かせた感じと言いますか
鈍く光る調子に惹かれ…
削りでラインを出す事に関しては、ある程度の自信を持ち始めてきた頃でしょうか。
何がどうなってか
1度 手にした、制作に対する考えが霧散してしまい
またわけのわからない物を作り始めてしまいました。
一体私に何があったんでしょう。
病んでいたのかもしれません。
完全に病んでいます。
でもまあ
これらはとても気に入っていたし、この頃から調合を変えて作ったマンガン主体の釉薬も
良い感じに扱えるようになってきました。
ちょっとスタイリッシュなデザインの物を作りたいなァ。と、浮気心を垣間見せながら作った物達。
自分の中ではかなり気に入っていたのですが
何故か全く売れませんでした;;
この形は…外国人の夫婦がご購入下さいました。
テーマがあり、それに沿った素材や手法を選ぶようになった。という点に於いては
きっと成長したんでしょう。
きっと自分の中に色々な人格が混在しているから
ごく自然なようにも思えますし
色々な方法を模索している。と解釈すると…少なくとも
悪い事ではない気もします。
そういった作り方をしてきましたが、手跡を残したり
あえて歪ませたりという事をしてこなかったので
やってみなくてはわからん ! 合わないと思えば
やってみてから捨てれば良い。と
水挽き後に手を加える。という事を始めた頃です。
一見 鉄器のような雰囲気が気に入りました。
また、この頃から
削りと彫りで浮き出るエッジと
有機的なラインを混在させた物を作り始めるようになりました。
今では定番となりつつある、この形です。
蒲公英の綿毛を見て感じた 点と線の関係から成り立つ…アウトラインの曖昧さを表現したくて 鎬を止めた場所を点とし、それらを繋いでラインとなるように鎬を入れました。
そのゴツゴツした感じと、色味が自分の中で素直に受け止める事が出来た…いわば
お気に入りってやつです。
あとは
金ピカと、鉄器のような雰囲気の配色バランスか。と
金ピカを全面に押し出した物、ワンポイントに金ピカを入れた物など
あらゆるラインの形に対し、どこまで釉が流れて
どこで止まり、どのように溜まり
どのように発色するのかを追いました。
調合を少し変えてみると…ごくわずかに 銀色に変色する事を発見しました。
この銀味を全面に押し出すには…どうすれば良いか。
これが、今私の取り組んでいる最も大きなテーマです。
コンプレッサでのエア ・ ガンの吹き付けを使うと やや赤味が勝り、私好みにはなりません。
この銀味を出すには…筆の種類と釉のボーメが そのほとんどを左右します。
後は 焼成温度帯の研究でしょうか。
釉を生掛けで本焼きした時の微妙な違いも見逃せません。
振り返ってみると…色々ありました。
今でも悩みは尽きませんが、その質は大きく変わりました。
私自身に変化があったのかどうかは…わかりませんが
おそらく
思考経路、あるいはものの捉え方に変化があったのだと思います。
色々な方向へ入っては…悩み、迷い そこから逃げるように別の道を探し、少し頭を打っては…悩み。
きっと 2年後 にはハゲるんだろうな。と漠然と感じていましたが
今では、あと 5年 くらいはハゲないように思います。
それでも 遊び心を少し交えた 別な道へちょくちょくと寄り道する事も忘れません。
当時はこの行為に対し、嫌悪感に近いものを覚えていましたが
今はそこが随分変わったように思います。