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天見

最近こういった写真ばかりでややこしいですが。

今回は伊賀の話でなく 南大阪は、和歌山との県境 天見 ( あまみ ) に借りていた作業場の話です。

どうもこんばんは。motomanです。

私が今、伊賀の家を ( ほぼ ) 全力で改築しているのは 人は、ものに時間や空間 ・ 時に想いを込め それを反芻する事が出来る生き物で 楽しさや辛さ 叶えた事や挫折した事 酸いも甘いもを心に刻み、糧へと変え 次の一歩を踏み出し続ける事が出来るからで 新しい門出となる場所に、後悔や甘えなどの 負の感情を残したくないからです。

私の頭のネジが幾つも抜けている事や 若さ故の何とやらがあったりで 7年近く お世話になったこの作業場には 酸いも甘いも 色々なものが混在しています。

神戸に行く用があり、帰阪していたので マイ草払い機を伊賀から持参し、最期の掃除をしに行く事にしました。

生憎の天気で、小雨に降られながらでしたが シャリシャリと草を刈りました。

伊賀での改築や展示などで、ここ数ヶ月ほとんどまともに来れていなかったので えらい事になってました。 草刈りと言うより、草狩りと言った方が適切な気がします。

私が作業場として使っていた場所。 最初はこういった感じでした。

土間に土壁 ガランとした状態。 ここが私のスタート地点でした。

天見は谷間にあり、この作業場は その谷間に対して垂直方向に… さらに谷間になっているので 日照時間が異常に短く、とんでもない湿気に満ちているところでした。

山手側にある壁は根元から腐り、押せば動くほどアレだったので 思い切って破壊する事にしました。

新喜劇のセットみたいですね。って 当時もこの言い回しでブログを書いていた思い出があります。

鳥さんのおやじさんが左官屋をやっているので お願いしてキレイにモルタルで土間をひきなおしてもらいました。

結果から言えば これが底冷えの元凶だったのかもしれません。

当時は自動車整備工をやっていたので 仕事が終わってから、夜な夜な改築作業をしてました。

国家整備資格を取ろう。と決めてからは 毎週 土 ・ 日が朝から夕方まで講習で埋まり 月から金は朝から夕方まで仕事。

いつになったら陶芸が出来るんやろう。 と不安になったり 最初の 2年 くらいは毎日、モータースの厳しいボスに怒られっぱなしでしたが 独りで仕事がやれるようになると、どんどん楽しくなってきたのもあり。 なんだかんだで気の合うボスに、社員にならんか。と誘われたのもあり。で このまま整備士になり、週末だけ趣味で陶芸をしようかな。などと 色々と悩んだ時期でもありました。

山手側の壁を作ったり、断熱材を仕込んで石膏ボードを貼り付けていったり。 多くの友人たちの手を借り、ゆっくりではありますが 徐々に部屋らしくなってきました。

この頃は… 記憶が曖昧ですが 鳥さんがテナント屋から図面描きに転職したかどうか。ってタイミングだったと思いますが 彼の知識と技術を借り、慣れない大工仕事を続けてましたね。

しかし なんでこんなダサい格好してるんでしょう。 すげえなこのジーパン。

陶芸資金を貯める為に始めた自動車整備工。 コツコツ真面目に働いていれば、お金は貯まるモンです。

小さな町工場だったので、基本的にはボスと私の 2人 で工場をまわしていたので 後釜問題で延び延びになってしまった事もあり、なんだかんだで 4 ~ 5年 ほどお世話になりました。

毎日 オイルにまみれながら… まさに読んで字のごとく 汗水たらして働いていた、あのモータースが私を支えてくれました。

結局、形態としてはアルバイトでしたが 半分 家族のよう 毎日 同じ食卓で昼飯を食べ、少しずつやれる仕事の幅を広げ きっちり育てて頂きました。

いずれ辞める前提で雇ってもらったわけですが 人を育てる 面倒を見る という事の大事さや、温かさを教わりました。

出勤最終日、毎日毎日 通勤と仕事で、幾度となく走った石川の土手を通った時 次の一歩へと繋がる別れだとわかっていながら 涙が止まらなかったのを思い出します。

あ、あと 身体が宙に浮くほどケツを蹴り上げられたのは良い想い出です。 たぶんマジに浮きました。

念願の電気窯購入。

新設した窯小屋も、鳥さんのおやじさんに依頼しました。 ついでに。と 作業小屋の犬走りまでもやってくれました。 かなりの格安で。

有難い事です。

ちょっとお金持ってたもんですから 調子乗って真空土練機も買いました。

今でも大活躍してくれてます。

この安全靴までもが懐かしいですね。 自動車整備工で働き始めてから、ず----------------------------------っとこれ履いてました。

このワークパンツは 未だ現役です。 すごいッスね。

さあ陶芸だ。と こんな感じでろくろ挽いてました。

もっさい形してますね。

超不真面目な学生でしたが 一応、素焼きして釉薬掛けて電気窯に入れれば陶器になる。という事は憶えていたので助かりました。

この頃からですね。 スプレー ・ ガンを使い始めたのは。

自動車整備工になろうかな。と思った理由は 車が好きだから 手先が器用だと思い込んでいたから そして 防錆塗料を吹く時にスプレー ・ ガンを使うと聞いていたので 釉薬を吹き付ける時の練習になるな。 と思ったからです。

ナメてます。

でもまあ お陰様で、釉薬はいつもスプレー ・ ガン使って吹き付ける事が出来ています。

当初の目標を達成し、ようやっと陶芸をやり始めたわけですが 正直 作ったものを作業場に置いて、ビラ配りやらネットやらで宣伝すれば 地味ながらにお客さんが来て 一応… 商売として成り立つんだと思ってました。

激甘っした。

右も左もわからず 販売したいけど何処で何したらええねん。 どうやったら陶器って売れるんですか。 ワタシ ナニ ツクッタラエエノ ?

焦りしかない時期でした。 ( 今も大差ないですが )

色々なものを観に行き始めた頃ですかね。

新しいバイトを始めた時期もたぶんこの頃で、そのお陰様で 陶芸を生業にしてらっしゃる人たちとの出逢いがグッと増え 色々な話を伺えたり、経験させてもらったりと 自分が何をすべきなのか 氷山の一角が見え始めてきました。

色々な土を使ってみたり 色々な釉薬を使ってみたり。 いわゆる " 作品 " と言われるものを作って公募展に出し 名を挙げるしかねえんだろう ! と 勘違いしてたという、恥ずかしい話です。

こういった大鉢ばかり作っていた事もありましたね。

公募展に出しては落ち続ける。という。 今となっては笑い話ですが。

とまあそんな感じで。

細かい事を言い出すと止まらなくなっちゃうので そんな感じで。

今日、作業場はこうなりました。

山手側の壁、閉じんかったんかい。と言われちゃいそうですが 部屋がとても暗かったし、何となくオシャレ感が出るかな。と ちゃんとガラスを嵌めてあります。

お金の使い方を知らない過去の自分が怖いです。 若さ故。 です。

谷間の谷間にある作業場の水ハケの悪さはハンパなく 雪が解けないのは当たり前。 南大阪の端っことは言え、マジに大阪か。と言わざるを得ません。

気候の良い時ですら、一度 雨が降ると… 湿地みたいに地面がベチャベチャ。 モイスチャー感が留まるところを知りません。

この経験を経て 今、手掛けている伊賀の家は 出来うる限りの手を尽くし、寒さに立ち向かえるようにしよう。と そこに落ち着くわけです。

よう こんだけ雪積もってる中、半日かけて 屋外で釉薬吹き付けとったな…

奇妙な風景があったので、最後の記念に撮っておきました。

波板の上にのっかった少量の土から こんだけの… でっけー雑草が雄々しくそそり立っていました。

未だ伊賀の家の改築が途中も途中 ほんまに冬が来るまでに形になるんかい。って感じですが。 この雑草のよう たくましく生きていこうと思います。

これにて取り敢えず 私は天見の作業場の引き払い完了。 という事になりました。

色々な想いが駆け巡ります。 楽しかった事はもちろん 辛い事も山のようにありました。 色々と理由はありますが その全てが 自分が至らなかったせいだ。と捉え 次の一歩への糧へと昇華しようと思います。

帰りがけ ありがとうございました。と声にし、頭を下げてみました。 込み上げるものがあるのかな。なんてぼんやり考えていましたが 思っていた以上に気持ちは澄んでいたのは 少しは成長した証なのかもしれません。

空くらいしか見るものがないから。 という理由で " 天見 " という地名になったそうですが 私にとっては色々なものが見えました。 それに 天を見上げるというのは気持ちが良いものです。

この夜も 谷間からは赤々とした月が輝き 足下をしっかりと照らしてくれていました。

私の少し先の未来を暗示していたのかもしれません。

半分くらい欠けとったけどな

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陶芸や写真を通じ世界中の人々にヒュッゲな生活を提供すべく三重県伊賀市に工房を、東京に営業所を構え、2019年12月から本格的に活動を開始したユニットです。


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