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今朝…もう昨日の話ですが ちょっと用があり、作業場をさらに南下 和歌山は橋本市へ入ったのですけれど、昼間の気温がなんと。 1℃ でした。

帰りに作業場前に走る国道の傍の電光掲示板を見ると 0℃ でした。

いや 昼間に 0℃ は…アカンて。 もはや大阪やないって。

どうもこんばんは。motomanです。

先日、大阪狭山市で開催された " 四日間だけのアートフェア " の打ち上げにお誘い頂き、お邪魔してきました。

その中の話で興味を惹かれた件があったので、ちょっと咀嚼してみようと思った次第でありマス。

二次会に残ったのは、陶芸 3人 ・ 創作家具職人 1人 の 計4人 。

誰が為に品を作るのか。という点に於いては 使う人の為。となったのですけれど " 作家もの " の魅力はどこにあるのか。という点に於いては…人それぞれで。

2人 の陶芸家曰く、陶芸界は工業製品の脅威に晒されている。と懸念しているようで これはクラフトフェアで出会う、同業者やお客さんとの間でもよく話題にのぼります。

たいていの同業者は 普通に使うだけの器なら、 100円 で買えるもんねえ。と言いますし たいていのお客さんは 100円 で器を買える時代だから辛いねえ。と言います。

その際、私は 土俵が違うので気にしていません。と言いますが それは、作家ものと比べて 価値を見出す点が違うからであり、価格勝負では完敗である事は明らかで 同じ土俵に上がった時点で終わりである。という考えがあるからです。

では、どこにどういった価値を見出すのか。という点に着眼する事となるわけですが これが面白かったのでひとつ。

100均 やニトリや IKEA なんかで扱われている品は 器を販売し出した当初は、その質は決して良い物とは言えず 安かろう悪かろうが当たり前だったわけですが 年々その技術は右肩上がりで、今となっては 土俵が違うから。という一言では片付けられなくなってきているのです。

石膏ではなく、シリコンで型取りした形は自由度を増し それを大量に短時間で成形できるもんですから、これは目が当てられない。 まして 今は白い器が多いから良いものの、釉薬の調合まで研究し始められると 安くて質の良いものが大量に世に溢れ、私達…個人作家 ( あるいは中小企業に至るまで ) は息を出来なくなってしまう。 というのが、工業製品に脅威を感じている 2人 の意見です。

要は 湯呑みを欲する人が居たとして、 100均 などに多少なりとも ( あるいは大幅に ) お客さんをとられるわけで 販売をする立場から言えば、分母が少なくなっている時点で弊害が出ている。というわけです。

なるほど。 それもひとつ。 ですが、私はやはり そこは土俵が違う。と思っています。 分母が減るのは確かにそうですが、個人作家が躍起になって攻め入るところでもないな。と思うからで そう言うと、 2人 は 作家ものを買う人は 100均 のものも買いますよ。と言います。 お金が無いから 100均 へ行くわけではなく、お金を持っている人でも 100均 のものを買う。と。

創作家具職人は言います。 作家ものを買う人は 100均 のものなんて買わない。 わかる人は良いものしか選ばない。と。

そうであって欲しいとは思うけれど、それは理想であり 現実は違うと思います。 現に、物を作っている立場の私とて 100均 で買い物をします。 お金を持っている人でも 100均 に行くのはおそらくそういう意味で 価格と代用度 ( ヘンな単語ですが ) がマッチすれば購入するに至るでしょう。

2人 の陶芸家が言う事も納得できるし、創作家具職人の言いたい事もわかります。

創作家具職人が繰り返し言うには じゃあ…

魂はどこにあるんだ! という点です。

作っているものに魂を込めているんでしょう?

この言葉が私の興味を惹きました。

込めてはいるけれど、品が完成した時点で終わり。 込めたものはそれ以上…大きくも小さくもならないのか 作った品とお客さんの扱い次第で、魂はそこからも成長するはずである という狭間で議論は白熱しましたが そこは私の事ですから…話を聞きながら違う事を考えてしまっていました ^^;

というのも 私を含めた 2人 の陶芸家は " 魂を削ってものを作る " と表現するのに対し もう 1人 の陶芸家と創作家具職人は " 魂をものに込める " と表現したからです。

彼はどうかわかりませんが、少なくとも私は 自分が得た色々なものを咀嚼し、咀嚼し それに自分なりのものを加え なるべく余分なものが取り憑かぬよう、省いて省いて それを自分が作ったものとして世に出すわけですから 楽しい事ばかりではない。 むしろ 生み出すという事は…どちらかと言えば、辛い事に近いと思っているからで 身も魂も削っているような気がしています。

報われるのは それを使いたいという人と出会いのみで その出会い以外の救済は一切無いとさえ思っています。 だからこそ それが叶った時の喜びが大きいのかもしれません。

逆に 魂を込めるという表現をするという事は 魂はどんどん湧き出してくる。という事ですか?と問うと そういうイメージだ。と言います。

彼ら 2人 がポジティブで 私達 2人 がネガティブなのか それに対して答えは出そうにないし、まあ 答えを出す必要性すらありませんが 制作に対する姿勢や考え方が違う事について意見を交換できたのは おそらく 4人 にとって良い事だったのでしょう。

私が敬愛する鴨居 玲ならばきっと。 魂を削っている。と表現すると思います。

今まで生み出してきた " もの " に取り囲まれ 何も描けなくなり、呆然と…ただ座っているのだから。

それとも この椅子が創作家具職人の作る椅子だったなら。 また何か違った道があったのでしょうか。

削ってか込めてか。 メソッドはどちらであったとしても 作る品に宿っているものは同じ類のものであるから。

永く愛用される品を作って生きたいものです

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SAC Bros. by Motoman & Enken

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