• SAC Bros. Company

8


仕事を辞め、陶芸の道を歩んではや8ヶ月。 色々とわかってきた事がある。 それらのどれもが漠然としていて、言葉に還元する事が難しい。 少し時間が経つと、すぐに霧散してしまいそうな…極めて儚いもののように感じるが 噛み砕いてみると、どうやら…このように言えると思う。

この8ヶ月で、収入が減った代わりに 制作に打ち込める時間が自由に取れるようになり 作りたい物を形にできるようになった。 調べたい事をじっくり調べる時間や 見たい物を見に行く時間、 参加したい催しに参加できる時間もできた。

そのお陰で、刺激を受ける物を目にする機会も多くなり、今まで不安定だった 自分が作る物に対する…許容できる境界線とでも言おうか…線引きが、少しずつ変化してきた。 その中で一番大きく変化した部分がある。

自分というものが、 どの時代に在ろうが 何処に居ようが どんな皮膚の色をしていようが どんな目の色をしていようが 性別も超え…

粘土とろくろと窯と鉋と身体。 そして自分の身体に沁みついた感覚と技術さえあれば 自分が作りたいと思う物 ( これが、万人が認めざるを得ないような”美しい物”とは限らないのが歯痒いところであるが ) が作れる事、それ自体が 自分の武器である。と思い込んでいた節があった。

自分の審美感という…脆く曖昧で、言葉に還元できないものを…盛り込んだ形を、具現化できる事。 それが自己表現だと思っていた。 それ自体はそうなのかもしれない。 だが、本当の武器と呼べるものは とどのつまり…自分の持つ技術ではなく、作り上げた物に在る。と思うようになったのである。

何か、はっきりとしたきっかけがあったわけではない。 アナログ的で、限りなく円に近い…目では判別できないほど…円に極限まで近づいた多角形を見分ける事ができないくらいに この8ヶ月の間に、少しずつ変化を繰り返し。 こういう考えに至った。

自分にとって良いのか悪いのかもわからないくらい、酷く曖昧で 混沌とした考えのようにも思えるが どうやら私の現在地はそこに在るようである。 一言で言えば、たったそれだけの姿勢の変化。

この事に気付くまで…8ヶ月という時間は長かったのか、短かったのかすらの判断さえ危うい。

言葉にできない感覚を伝える為、形に変えて表現する事に価値があると思っている。 だからこそ 作り上げた形が全てでありそこに付け足すべきものは何もなく。 例え… 作り手の私が死に、生きているうちにしか伝えられなかった想いがあったとて 作った物さえこの世に残っていれば。 その物を見て、受け手に感じるところがあれば良い。 おそらくは…そういう理屈である。

日々作っている物は、少し先の未来から見れば試作。 だからといって、狙いがブレていては話にならない。 日々作る物は、遺作であるべきだと思う。 なぜなら 私はいつ死ぬかわからないし、モノを言うのは物自体であるから。 考え方としては合理的だと思える。

ダヴィンチのものの捉え方は、どのようにその角を削ぎ落としていったのだろう。 多角形を磨いて 磨いて 真円に近づいていく過程には何があったのだろう。

常に真理を探し求めるような、ストイックな目を保ち続けられた。という事が、 彼の姿勢であり 魅力であり、 彼の価値なのかもしれない。 それを基に、数多くのモノを遺したのだろう。 結果、彼が今でも生きているかのようにも思える。

”それぞれの器械は、それぞれが作り出されたもとである経験によって働かされなければならない”

0回の閲覧

SAC Bros. by Motoman & Enken

Japanese Traditional Craftsman Team

完売商品のオーダーをお受けしています。

詳細はコチラから    

 

We are accepting orders for sold-out products. Please see here for details.

FAQ

Please subscribe our E-mail member

  • Instagramの - ブラックサークル
  • Facebookの - ブラックサークル
  • Twitterの - ブラックサークル
  • YouTubeの - ブラックサークル
0