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motoman


どうもこんばんは。motomanです。

今日は今更ながら…今更ながら自己紹介のようなものでも書いてみようと思います。 まあわざわざ書かなくとも…雑記を綴る中で、皆さんにどんな人柄なのかイメージしてもらった方がアレなのですが、この度SACに新たなメンバが参戦しまして。 そのメンバが自己紹介し易いよう、私が先陣きって書くわけです。 私のやさしさがうかがい知れますね。

久々の日記ですし、自らを振り返る意味も込め…じっくりと長々と書いてみようと思います。 途中で飽きた人はブックマークから削除してください^^

かれこれ10300日ほど前、この腐った世の中に生まれ堕ちました。 この世に誕生した瞬間、私を取り出した医者に「なんやこの子」と言われたそうです。ひどい話です。 背中に馬のたてがみのような毛があったわけではありません。 額に「肉」と書いてあったわけでもありません。 首に星型のアザがあったわけでもありません。 あまりに肌の色が白く、髪の色素が異常に薄く、赤毛だったそうです。 日本人ですよ。っと。

今も色白は相変わらずだとは思いますが、自動車整備の仕事をしているので…露出している部分だけはそれなりの人肌色(不思議な単語ですね)だと思います。 髪は学生の頃にあんな色やこんな色にしましたが、放置するようになると何故か人並みに黒くなりました。不思議なもんです。

幼稚園時代は… 教室の隅っこで幼馴染と2人でおとなしく座っていて、他の子が遊び疲れた頃に動き出し、全てのおもちゃを2人占めにするという…そんな子供だったそうです。 競争に参加せず、来るべき時の為に英気を養っていたわけです。 将来はIT業界の風雲児でしょうか。

小学校時代は… 前に日記に書いたように…虫博士にいろいろな事を教えてもらったりしていました。 毎日アホみたいに外で遊んでいたと思います。 3年生までは学校が遠く、片道40分ほど歩いて通っていました。 毎日の楽しみは、通学路の途中にある酒屋でワンカップ大関のフタを失敬し、それを学校まで蹴り続ける事でした。 将来はサッカー日本代表でしょうか。

また、幼馴染の女性を追いかけ…スカートめくりに興じていたのもこの頃です。 その幼馴染のバービー人形を脱がし、えもいわれぬ感覚に襲われていたのもこの頃です。 そしてその幼馴染と2人で百人一首を使い、坊主めくり(ご存知でしょうか…)をしていたのもこの頃です。終わりません。半紙に水で絵を描く武蔵のようです。 将来はエロチシズムが売りの画家でしょうか。

4年生になると自宅近くに新たに小学校ができたので、転校する事になりました。 私の寝坊人生の幕開けであり、そして今なお繋がっている…俗に言う、腐れ縁のあるアホな人々との出会いがあった頃です。

この頃が私のピークだったと思います。 勉強もよく出来ましたし、運動もそれなりでした。 積極的に何かに取り組む意欲に燃え、学級委員やクラブの部長などに立候補とかしていました。 特に図画工作(懐かしい響きです)に興味があり、絵を描くのが好きでした。 4年生から卒業まで、毎年何かと受賞していました。 そういえば書道なんかも習っていましたね…硬筆・毛筆ともに3段くらい持ってますが、今の私の肉筆は見るに堪えません。 防火ポスターの最優秀に選ばれ、おばあちゃんが喜んでくれたのを覚えています。 賞品は絵の具セットでした。ありがとうございました。

私には3歳上の兄貴がいます。 兄貴は私立中学校へ進みました。 親は私も私立へ行かせるつもりだったようで、「塾へ行くか?」と問われました。 まだ勉強は好きな方でしたし、周りの友達も通っていたので…塾へ通う事にしました。

そして兄貴と同じ中学校を受験しに行きました。 おじいちゃんが一緒についてきてくれました。 うまく表現できませんが、ただ、とんでもなく大きな違和感に包まれたのを覚えています。 知らない校舎内で言われるがままに席につき、必死に問題を解く知らない子に囲まれたその時、私はひどく悲しくなりました。

本当の孤独は周りに人がいる時に感じる。だなんて何かで読んだ事がありますが、その体験がまさにそれそのものでした。 ここはきっと私の場所ではないのだろう。と結論を出した私は、答案用紙に名前だけ記入し、ただただ時間が過ぎるのを待ちました。とても長かったように思います。 早く家に帰り、友達に会いたい一心でした。

受験の帰り道、おじいちゃんに「問題できたか?」と聞かれました。 私は「できたと思う。受かっているかどうかはわからんけど」と答えました。 期待を裏切った気がして、心が痛んだのを覚えています。 抜けるような青空でした。 受験会場となった教室なんかは欠片も覚えていませんが、その日の涙で滲んだ青空だけはハッキリと覚えています。不思議なもんです。

後日学校で、担任の先生に不合格だった旨を伝えた時「残念やったねぇ」と言われ、物悲しい気持ちになりました。 その時の夕日もよく覚えています。不思議なもんです。 将来は社会不適合者でしょうか。

中学校時代は… 出会ってはいけない人達と出会ってしまった時期です。腐れ縁の極みですね。 犯罪スレスレの方法でお金を作りました。 よい子がマネするといけないのでこんなところには書けません。 果ては究極とも言えるお金の作り方を編み出したのですが、私達の美学に反する方法だったので…理論が正しいかどうかを確認して足を洗いました^^ 陶芸で飯が食えなくなったら毎日やろうと思います。 ちなみに一緒に行動していた1人は今警察官です;;

鳥さんとゲーセンに入り浸っていた頃です。 2人して横に並び、何人抜きできるかを競っていました。 100円で2時間くらいは遊んでいたと思います。 最高記録は2人で100人抜きとかしてました。 武蔵には及びませんが、それなりの戦歴だと思います。 が、地元の大きなゲーセンの大会に出てみると、あっけなく敗北してしまいました。 上には上がいる事を学びました。

ゲーム以外では、己のプライドを賭けて危険な挑戦ばかりしていました。 「中学時代何して遊んでた?」と聞かれると、私は「高いところを探しては、飛び降りてた」と胸を張って答えます。

そんなこんなで、やはり付き合いの長い友達と同じ公立中学校へ行ってよかった。仲間って素敵ですね。という結論に達しました。 もうあの青空を思い出しても悲しくはありませんね。

高校時代は… 異性の目を気にする年頃です。 そんな化かし合いのような環境にうんざりし、学内では独りで過ごした時間の長かった青春時代です。 学校に楽しさが見出せず、地元の連れとばかり遊んでいました。 要はどんどんバカになっていったという事です;;

特にやる事もなく、勉強にも興味がなくなり…うんこみたいな毎日を送っていました。 成績もどんどん下がり、果ては四天王と呼ばれたほどです。 もちろん下から数えて、ですね。はい。不動です。 ゲームは毎日欠かしませんでしたけれどね!

まあ、中学校時代に学んだ器用さはきっちりと応用しました。 本屋へ行き、学校で使っている教科書と全く同じ表紙の解説本を買いました。 教科書は家の本棚に仕舞い込み、私は答えが全て書いてあるエセ教科書を授業で使っていました。 テストの点はカスでしたが、授業中の正答率は100%でした。不思議なもんです。

平日はそんな感じで、帰宅後や週末に地元の連れと遊ぶのが唯一の楽しみでした。

なんとなく…変化が欲しかったのでしょうか。 幼少の頃から中学卒業までずっと続けていた剣道をやろうと思い、入部してみるものの馴染めず…また、強さを求めなければならない体質が合わず、1年もしないうちに辞めてしまいました。 稽古で汗を流す事は好きだったのですが、試合となると勝敗に全く興味がなかったのです。 でも剣道部に属する者としては、勝ちを求められるわけです。 まあ当然と言えば当然なのですが…どう考えてみてもしっくりきませんでした。 小学校時代と比べ、どんどん堕ちていっていますね。 将来は路上で生活でしょう。

2年の夏に進路相談になり、勉強がうんこだった私は好きだった図画工作に近しい道へ進もうと思い立ち、受験のためのデッサンを習うべく、アトリエへ通う事にしました。 私の描いたナスはお手本としてアトリエに残っているそうです。 それはそうです。 だってどう見ても完璧なナスなんだもの。 紙の上にナスがのっかっているんだもの。 人生で私が生み出したものの中で、上位にランクインする満足度でした。 懐かしいですね。今改めて見てみたいものです。

地元の連れと遊ぶ時間は大幅に減りましたが、デッサンに結構はまりました。 平日学校から帰ってからはアトリエで夜遅くまでデッサンの訓練をし、週末はバイクで地元の連れとあてもなく走りまくっていました。 中型免許も取りに行きました。 バイトなんかもしてましたねえ。いや懐かしいです。 今もバイトですけれどね^^:

3年になり、人生初の彼女とやらが出来ました。 何かとお世話になりました。楽しかったです。ありがとうございました。 そんな彼女も数年前に結婚したそうです。 私は山奥で粘土こねてます。 将来は自作の尿瓶で自己介護でしょうか。

この頃出会ったもう1人大事な人は、いまや世界を股にかけて働いています。 彼女の活躍は自分の事のように嬉しいですし、励みになります。 ですが、俺だって!という気持ちもあり、勝手にライバル視してみたりもします。 月とすっぽんですが。 まあ心の内やものづくりの自論なんかを言い合える大事な人です。 世界中で稼いだお金で私の作ったものを買って、私を稼がせてくださいね^^ こんな事言うとまた怒られてしまいますけど…

大学時代は… 無事、推薦受験(当時の推薦入試はデッサンと面接のみで、学業は必要ありませんでした)で合格しました。 勉強の成績が限りなくゼロに近かったので本当に助かりました。よく頑張りましたね私。

そして陶芸を始める事になりました。 まあ1回生(回生と年生の言い方の違いは何なんでしょうかねえ)の頃はそれなりに真面目でした。 取れるだけの単位は取りましたし、初めて触れる粘土という素材にも興味が湧きました。 ただ…それが深さを増す事がなく、ただ与えられた課題をこなすだけの、意欲に燃えていない学生でしたね。 地元の連れも就職してしまったり、他の大学へ行ったりで会う機会も随分減り、今思えば…自分の居場所がなかった気がします。

気の合った、徳島出身のとっさまによく相手してもらい…ご迷惑おかけしました^^; ちょっとリンクの貼り方がアレなのでちょっとアレなんですが、相互リンクさせてもらいますね。 そして徳島で行きたいところがあり、そう遠くない未来に連れと行くつもりなんですが、その際には遊びに寄らせてもらいます。 寝床と食い物の用意をお願いいたします。ご迷惑おかけします^^;

そして特に記憶に残るような事もないまま、2回生で留年という偉業を成し遂げてしまいました。 高校の時の彼女とも、この頃別れたと記憶しています。 今思うと本当に情けない話ですねえ…又八みたいです。 どこにも良いところが見つかりません^^

そこで心機一転、2度目の2回生でイチから出直そうと!使える時間は全て実習室で制作をして過ごしていました。 課題の提出数が2つなら4つ出してやろう!と意欲に燃えに燃えていました。

そしてその帰り道で前方不注意の車に正面衝突されたっていう。

すでに長いですが、これに関して事細かに書くと長くなるので…割愛しましょう。 またの機会にでもという事でここはひとつ。

三途の川拝んで恥ずかしながら帰って来ました。 きっと貧乏すぎて渡り賃が足りず、追い返されたのでしょう。 帰っては来たのですが、なんと左手が動きません。

医者に「治りませんよ」とか言われたんですが…「え、困ります」としか言えません。 茶碗すら持てませんでしたねえ。 そしてその茶碗すら作れないっていう。 トンチがピリリと効いていておもしろいですが、当時の私は笑えません。 学校を辞めて就職しようとも考えましたが、どのみち左手が動きません。

学校へ行くと、クラスメイトや先生方に「大丈夫?」とか聞かれるわけです。毎日毎日。 そう聞かれる事、気にかけられる事自体にうんざりしてしまいました。 ものを作れなくなって自分を見失いました。 ようやく見つけたやりがいを、燃えた意欲がピヨーンとどっかにいってしまったようで、ふさぎこみました。 特に何に苦労したわけでもなく、特に打ち込めるものがあったわけでもなく、ただなんとなく過ごしてきた今までのツケが一気にやってきた気がしました。 いやあ参りました。

まあそんなこんなで結局その年は課題が作れず、休学という形で留年。 2回生を3回もやってしまったわけです。 そして後遺症は治る兆しがありませんでしたが、うんこみたいなものをなんとか作り、先生の同情心で進級だけはさせてもらいました。 さらに頭部強打により…きっと脳みそが揺れに揺れたんでしょうね。 記憶力が低下の一途を辿り、やりたい事をやれない状態、日常生活で頻繁に起こる物忘れによる焦り、苛立ちやらなんかで友近の腹みたいにヘコみっぱなしでした。

何がおもしろいって、今でも記憶力が回復していない事です。 私の周りにいる人はよく知ってますが、約束は忘れるわ…やらなくてはいけない事はすっぽ抜けるわで…ご迷惑をおかけしています。ごめんなさい。これからも忘れます。 そんなわけで、私をかるく知っている程度の人は、私の事を高田純二の次あたりに無責任な男だと思っています。 まあ事実ですので否定はしません。 これでも整備の仕事でだいぶ回復したとは思っているんですけれどねえ。 きっとそういう星の元に生まれたんでしょう。 将来は都合の悪い時にスッとぼける政治家でしょうか。

そんなこんなで、こいつはダメな人間だという烙印があちらこちらに押されているわけです。 そんな私でも、周りの人達のおかげで何とか卒業まで漕ぎつけました。 それからバイトに次ぐバイトで2年間お金を貯め、そしてSAVに参加し、今こうして生活費を整備の仕事で稼ぎながら制作活動をしています。

後半めんどくさくなったのでかなり割愛しまくりましたが、こんな感じの私です。いかがですか。 一番苦労した…大学卒業からSAV参加までの下りが1行です。ありがとうございます。

ま・そんな感じで地味ながら活動してまいります。 立場としては1人の作家であり、SACの(一応)ボスです。 SACをどうしていきたいか。 個人としてどうしていきたいか。 考えるところは色々あります。 悩むところは数多く、時間は少なく…非常に困っているのが現状ですが、方向性だけは決めていますし、それがブレる事はないです。

SACはじめ、新たに増えていくであろう?メンバ共々、これからもよろしくお願いいたします。

悩むところが多いだけにこれからの行動の重要さが増してきますし、これからの自分が楽しみでもあります。 最近は脳の問題や家庭の事情で…依頼いただいたものもまだ納品できていませんが、魂込めて完成させますので楽しみにしていてください。 将来はこうなるんじゃあないかと、時代ごとにチョロチョロ書いてみましたが。 結局は山奥で粘土を触って喜んでいるオナニー人間。に行き着きました。 これからどこまで行けるのかわかりませんが、目指すは人間国宝です! 年間100万円もらえるそうですよ。という話を聞いたので、人間国宝目指します。ありがとうございます。

長々と読んでくださった方、時間の無駄でしたね。お疲れ様でした

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SAC Bros. by Motoman & Enken

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